朝9時のフライトでカルカッタへ。
一日をカルカッタで過ごし深夜のフライトで日本へ帰国する予定なので、無駄なく効率よく廻らなくてはいけません。
3時間後カルカッタ到着。
空港を一歩出ると首都デリーとはがらりと様子が変わり、非常にローカル度が高くなることに驚いて…いる間もなく、タクシー運転手やら、ポーターやら何かを売りつけようとする人々が、私達目指してウヮ~と駆け寄り、前に進めない状態に。
デリーでの買い物分ですでに25キロを超えているスーツケース2個を勝手にどこかへ持ち去ろうとする人から必死にスーツケースをガードしつつ、英語がほとんど通じない運転手を相手になんとか値段交渉をし、町中へ着いた時にはすでに午後2時過ぎ。その後、政府経営のハイヤーを手配し、アトリエ廻りを始められたのは午後3時でした。
うまく事が運んだデリーとは大きな違いです。
郊外の住宅地にある、weaver’s studioという隠れ家のようなギャラリーへ行き、カンタ(刺し子のサリー)やシルクの綴れ織りのサリーなど素敵な布と出会いました。
ここは、現代のインド染織界をリードするギャラリーのひとつで、とても斬新でモダンなデザインのものが多くあります。
しかしオーナー曰わく、新しい試みにいろいろ挑戦したいが、作り手の職人達を説得するのはなかなか大変なんですよ…とのこと。どこの世界でも同じなんだな、と妙に共感しました。
その後何件かの店をまわり、最後の晩餐、タンドリーチキンに舌鼓を打ち、一路空港へ向かいました。
今回の仕入れ旅行で感じたことは、インドはものすごいスピードで変化をしているということ。
世界レベルでの膨大な量の情報が入り込み、私が訪れた9年前には想像もできなかったほど近代化の波が押し寄せています。
皆が携帯電話を持ち、街のあちこちにインターネットカフェができ、若い世代の女性はTシャツにジーンズ姿が圧倒的に多くなっています。以前は多く見かけた行商も少なくなり、換わりにマクドナルドやファーストフードチェーンが軒を連ねています。
もちろん、写真のように昔ながらのレモンジュース屋もありますが…
日本に着物姿の人が少なくなっていったのと同じように、サリーなど民族衣装を着る人が減っていくことはとても寂しい気がしますが、近代化という時代の変化はどこの国でも止められないものなのでしょう。
過去20年の間に手織りのものは久しく減少し、機械製品が大幅に増えてきているそうです。職人を守りながら、その技を次代に後継していってほしいと切に願わずにはいられません。
そしてもう一つ感じることは、貧富の差に苦しむ人たちになにかしてあげられないのかということ。
インドのカースト(階級)制度における身分の違いを頭では理解しつつも、兄弟なのか、生まれたての赤ん坊を抱いた3歳位の男の子が必死にお金をねだる姿を見ると、胸が裂ける思いになります。
その国で生産されたものを仕入れることで、その国の人たちがすこしでも豊かになってほしい…
それが私たち灯屋2の理念の一つでもあり、その実現のためにサリーなど外国の布で作った着物や帯の売上の一部を国境なき医師団などに寄付しています。
私たちが帰国してすぐにデリーで爆弾テロが起こり、多数の方が死傷しました。
テロが起こったのは、私たちが仕入でいろいろなお店を回っていたコンノート・プレイスという場所でした。
多くの人の命をかんたんに奪っていく、戦争、テロ…
いつか世界中の人たちが矛を収め、手を取り合い、貧困と訣別できる日が来ることを心から願っています。
外国の布を買って、着物、帯に仕立て日本で販売し、その利益をその国に還元していく。
そんな「灯屋2プロジェクト」と私たちが考える取り組みはまだまだ小さなものですが、皆様にお買い求め頂いた着物や帯の代金の一部は、ワクチンや食料になり世界中の飢えや貧困で苦しむ人たちにきっと届いているはずです。
代々木店店長 菊池(カイ)
御社が「国境なき医師団」などに寄付をなさっていることを今回初めて知りました。
一消費者ですが,とても嬉しく感動しました!!!
昨今,「真っ当な商人道」を忘れたかのような,目先の利益と保身に走る企業が多い中,真摯にビジネス展開をされているその姿勢は大変貴重ですし,そのお志を持ち続けてほしいと願っております。
コメント、ありがとうございます。とても励みになります。
お客様もスタッフも灯屋2に関わって頂いている人皆で、
いろいろな意味で生活が稔り多く豊かになっていくこと、を目標に
これからも進んで参りたいと思います。