“銀座の柳”はよく耳にする言葉ですが、銀座の街並みに柳は少なく、灯屋2のご近所柳通りにわずかにその名の面影を残しています。この柳は少々頼りない風情で、幽霊も二の足を踏みそう!
その柳通りをちょっと入ったところに「幸稲荷」さんが鎮座しているのをご存じの方も多いことでしょう。その路地に俳人鈴木真砂女(1906〜2003)の小料理屋「卯波」があった。はず? 何度か覗いてみたが再開発されたビル群のどこにその小さな店があったか、定かではありません。老舗の大旅館の女将から小料理屋の女将へ、年中着物で通した真砂女の句には、食べ物と並んで着物の句がたいへん多いように思います。
商売の書き入れ時や単衣帯
夏帯や運切りひらき切りひらき
夏帯をきりりと締めて病まぬなり
夏帯や泣かぬ女となりて老ゆ
衣更てこののちとてもこのくらし
そして
羅(うすもの)やひと悲します恋をして
羅(うすもの)や細腰にして不逞なり
「ひと悲します」恋の果て、ほぼ身一つで家を出され、俳句仲間からの借金で、銀座に小料理屋卯波を開店したのは真砂女52歳の時。2kの公団住宅に住み銀座に通い、商売に励み、句作に励んだ生涯。
ある時は船より高き卯波かな
己が手でひらきし運や衣更
7歳下の恋人の急死は70歳の時。一度の見舞いも許されなかったという。
白桃に人刺すごとく刃を入れて
秋袷悪女の汚名いまだ消えず
松屋銀座のお歳暮の宣伝に起用されたのは87歳。地下鉄にも貼られたポスターは大評判であったそうです。その写真の背景にも柳が揺れています。柳は見かけよりずっとしぶとく強靭な植物といわれますが、小柄で華奢なまさにこの人のよう。
今生のいまが倖せ衣被(きぬかつぎ)
かねて欲しき帯の買えたり鳥雲に
女には欲しきもののみ柳散る
こういう気持ちは女でなくてはわからない、と真砂女も語っています。自身思いあたる方は多いのでは?かく言う私もその一人。
柳の着物、柳の帯で、さっそうと薫風の中、銀座を闊歩する・・・これも、女にしか味わえない至福。真砂女にも琉球柄の白の単衣?を着て5月末の銀座を歩く素敵な写真が残っています
写真上 水紋に枝垂れ柳の付下 23-05-16 88,000円
ベージュ燕帯 22−01−37 80,000円
写真下 絽手書き夏草着物 33,000円
23−05−45 絽柳に撫子鷺の帯 132,000円 (全て税込)