灯屋2旅行記」カテゴリーアーカイブ

トルコ・ウズベキスタン仕入旅行 その3

拡大写真の左右をクリックすると前後の写真がご覧いただけます。

ウズベキスタンで仕入はサマルカンドとブハラ周辺で行いました。
写真はサマルカンドから1時間ほどのところにある、シャフリサーブスのバザールの布市場の様子。
いろいろな布が軒先に吊るされ、露店が立ち並ぶ中からいくらでも帯用の布を探せそうに見えるかもしれませんが、この布は残念ながら実は洋服用の化繊。

シャフリサーブスと言えば昔はスザニの産地として知られていて、以前はこの市場もスザニが所狭しと並んでいたのですが、時代の流れはウズベキスタンにも確実に影響を及ぼしているようでした。


拡大写真の左右をクリックすると前後の写真がご覧いただけます。

ブハラで滞在したAKBAR(民宿)にはスザニのミュージアムが併設されていました。
このミュージアムは日本で言う博物館、美術館というような大きな規模のものではなく、個人が経営しているショールームのようなもの…
そういえばラオスでも個人経営の「ミュージアム」がいたるところにあったことを思い出しました。

エジプトなどは観光客用のお土産物屋にも「ミュージアム、ミュージアム」と言って連れて行かれます。
どこに行くかをタクシードライバーに聞かれて、ちゃんとした美術館に行くと言うと、「そのミュージアムは今日は休みだ。俺が知っているミュージアムに連れて行ってやる」と言われ、お土産物屋に連れて行かれるのは海外ではよくある話…

個人旅行の際にはご注意ください。

拡大写真の左右をクリックすると前後の写真がご覧いただけます。

このミュージアムでは、非売品の伝統衣装も展示していて、実際に着てみることも出来ます。

ウズベキスタンの伝統的な衣装を身に纏って、悠久の昔に思いをはせてみるのもまた一興。

伝統衣装や踊り、歌などが大好きな銀座店店長の白井は、上機嫌でポーズをとっていました。

白井だけでなく、4人全員が伝統衣装を纏ってポーズを決めているのですが、ブログではスペースの関係上全部紹介できないのが残念…

銀座店のPCに旅行中の写真を入れておく予定なので、ご興味のある方はご来店の際にお訊ねください。


拡大写真の左右をクリックすると前後の写真がご覧いただけます。

ウズベキスタンで仕入をするにあたって、一番苦労したのが実はお金。
ウズベキスタンはインフレが続いてきたので、通貨の単位が以上に大きくなっています。
通貨の単位はスムと言って、私たちが今回行ったときのレートが1ドル=約1500スム。
なのに、流通している紙幣の中で一番金額が大きなものが1000スム…
普通はインフレが進むにしたがって、高額紙幣がどんどん発行されていくものなのに、ウズベキスタンはそれがない。

100ドルを両替すると15万スムになるのですが、500スム札を渡されることも多く、結局300枚ほどの紙幣を渡されることになってしまいます。
お財布になんて入るはずも無く…バッグ1つがすべてお金で埋め尽くされることに…

支払いのときにお金を数えるのがとにかく大変でした。

写真はお金を数えることが苦痛になり始めて苦笑を浮かべる3人…

でも、今回の仕入旅行でいろいろな布を仕入れてくることが出来ました。
トルコ、ウズベキスタンの布で作った帯は、12月はじめごろから店頭、ホームページにて紹介していく予定です。

店主 渋谷

トルコ・ウズベキスタン仕入旅行 その2

拡大写真の左右をクリックすると前後の写真がご覧いただけます。

トルコからウズベキスタンの首都であるタシケントを経由してサマルカンドへ。
このサマルカンドは紀元前からシルクロードの中心都市として栄えてきたソグド人の都。

ただ、現在のサマルカンドは13世紀にモンゴル軍によって壊滅的な被害を受けて荒野となった土地に再建されたもので、当時の技術の粋を尽くした建築を今に伝えています。

サマルカンドは雨の少ない気候で、抜けるような青空が広がり(写真ではちょっと分かりにくいのですが)、メドレセの青いドームと相まって、「青の都」との別名でも呼ばれています。

拡大写真の左右をクリックすると前後の写真がご覧いただけます。

トルコと比較すると高い建物が少ないウズベキスタンは、どこに行っても青空が広がっています。

写真はパンを売っている屋台。湿度の少ないウズベキスタンでは、それほどパンがかびたりということも無いらしく(パン自体が塩が強めに作られているというのも一因かもしれませんが)、写真のような大きなパンを買って、家で保存して少しずつ食べていくんだそうです。

本当かどうか分かりませんが、ガイドブックなどによるとパンは2年くらい保存できるとのこと…

さすがに試してみる気にはなりませんでしたが、現地の風土、気候に合わせた文化の発展を感じました。

拡大写真の左右をクリックすると前後の写真がご覧いただけます。
トルコにしてもウズベキスタンにしても、イスラムの文化圏に行くと決まって目にするのが広場や店先に集まってチャイを飲みながらタバコをすう男性の姿。

ほとんどの方が目が合うと満面の笑みを返してくれ、イスラム圏のおおらかさを感じさせてくれます。
この前サッカーのワールドカップ予選でウズベキスタンと日本が戦ったばかりなので、サッカーの話題でも盛り上がりました…

いよいよ明日はウズベキスタンでの仕入の様子を紹介いたします。

銀座店店長 白井

トルコ・ウズベキスタン仕入旅行 その1

拡大写真の左右をクリックすると前後の写真がご覧いただけます。

10月31日から11月7日までの8日間で店主渋谷を筆頭に、灯屋2スタッフの4名がトルコとウズベキスタンに仕入に行ってまいりました。

今回はかなりうまくスケジュールが組めたため、当初ウズベキスタンのみのはずでしたが、急遽トルコ、イスタンブールまで足を伸ばすことに…

実際はかなりの強行軍になってしまったのですが、みんな体調をくずすこともなく無事に帰ってきました。

<写真はホテルの屋上から見た『ブルーモスク』>


どのくらいのスケジュールだったのかというと…
トルコ、ウズベキスタンと2カ国4都市を実質6日で廻ったわけですから、だいたいご想像がつくのではないでしょうか。

拡大写真の左右をクリックすると前後の写真がご覧いただけます。

トルコに着いたのは10月31日の23時。
ホテルにチェックインしたのが明けて1日の深夜1時でしたから、日本との時差が7時間ということを考えると実に24時間以上移動に費やしたことになります。

それでも「ちょっと疲れを取ってから」などといっている時間は無く、ホテルの屋上にあるレストランでブルーモスクを見ながら朝食を取るや否や、イスタンブールの町に出かけていきました。

イスタンブールにはウズベキスタンのスザニなどを扱う店が街中に点在しているのですが、それら1軒1軒を廻って数多くある布の中から帯に仕立て直す布を探し出します。

また、トルコ国内でもイカット(絣)をデザインしているところがあって、その問屋に行ったり…
1日があっという間に過ぎていきます。


拡大写真の左右をクリックすると前後の写真がご覧いただけます。

また、イスタンブールの街中にはグランドバザールという大きな市場があって、写真のようにスザニを軒先に広げて売っている店も見られます。

この市場はアンティークから食べ物までいろんなものが売られているので、イスタンブールの町の縮図が見えるようでとても興味深いものです。

なにより日本人にはトルコ料理はとても合うので、美味しいものを求めて町を歩くのも一興。

ヨーロッパとアジアを結ぶ都市『イスタンブール』。

オスマントルコの時代より受け継がれてきた、その目もくらむような伝統と文化にはただただ魅了させられずにはいられません。

私たち灯屋2スタッフの大好きな町の1つです。

大好きなイスタンブールに滞在することわずか30時間。
明日はウズベキスタンの首都タシケントに向かいます。

銀座店店長 白井

ウズベキスタン仕入に行ってきます。

前回のウズベキスタン仕入

突然ですがウズベキスタン仕入に行ってきます。
メンバーは店主渋谷、銀座店店長白井、代々木店製作担当の森と伊藤の4名。
今回のウズベキスタン仕入では、タシケント、サマルカンドとブハラのウズベキスタン各地とちょっと足を伸ばしてトルコ、イスタンブールを1週間で回ってくるかなりハイペースなスケジュールとなる予定です。

今回のウズベキスタン仕入旅行の様子は、メンバーが帰国後ブログにてその様子を紹介いたします。
灯屋2のスタッフの中でも「行ってしまえばなんとかなる」という、よく言えばポジティブ、どちらかといえば「行き当たりばったり」的な4人ですので、きっと面白い土産話をたくさん持って帰ってきてくれるはず…

もちろん一番の土産となるはずの仕入れた布は、帰国後すぐに製作にかかり12月はじめには店頭にてご覧いただける予定ですので、ぜひお楽しみに。
上の写真は前回のウズベキスタン仕入のものです。

アンティーク着物の灯屋2

インド仕入れ旅行 その3

朝9時のフライトでカルカッタへ。
一日をカルカッタで過ごし深夜のフライトで日本へ帰国する予定なので、無駄なく効率よく廻らなくてはいけません。
3時間後カルカッタ到着。

クリックすると大きな写真がご覧いただけます。

空港を一歩出ると首都デリーとはがらりと様子が変わり、非常にローカル度が高くなることに驚いて…いる間もなく、タクシー運転手やら、ポーターやら何かを売りつけようとする人々が、私達目指してウヮ~と駆け寄り、前に進めない状態に。

デリーでの買い物分ですでに25キロを超えているスーツケース2個を勝手にどこかへ持ち去ろうとする人から必死にスーツケースをガードしつつ、英語がほとんど通じない運転手を相手になんとか値段交渉をし、町中へ着いた時にはすでに午後2時過ぎ。その後、政府経営のハイヤーを手配し、アトリエ廻りを始められたのは午後3時でした。

うまく事が運んだデリーとは大きな違いです。

郊外の住宅地にある、weaver’s studioという隠れ家のようなギャラリーへ行き、カンタ(刺し子のサリー)やシルクの綴れ織りのサリーなど素敵な布と出会いました。

ここは、現代のインド染織界をリードするギャラリーのひとつで、とても斬新でモダンなデザインのものが多くあります。
しかしオーナー曰わく、新しい試みにいろいろ挑戦したいが、作り手の職人達を説得するのはなかなか大変なんですよ…とのこと。どこの世界でも同じなんだな、と妙に共感しました。

その後何件かの店をまわり、最後の晩餐、タンドリーチキンに舌鼓を打ち、一路空港へ向かいました。
今回の仕入れ旅行で感じたことは、インドはものすごいスピードで変化をしているということ。
世界レベルでの膨大な量の情報が入り込み、私が訪れた9年前には想像もできなかったほど近代化の波が押し寄せています。

クリックすると大きな写真がご覧いただけます。

皆が携帯電話を持ち、街のあちこちにインターネットカフェができ、若い世代の女性はTシャツにジーンズ姿が圧倒的に多くなっています。以前は多く見かけた行商も少なくなり、換わりにマクドナルドやファーストフードチェーンが軒を連ねています。

もちろん、写真のように昔ながらのレモンジュース屋もありますが…

日本に着物姿の人が少なくなっていったのと同じように、サリーなど民族衣装を着る人が減っていくことはとても寂しい気がしますが、近代化という時代の変化はどこの国でも止められないものなのでしょう。

過去20年の間に手織りのものは久しく減少し、機械製品が大幅に増えてきているそうです。職人を守りながら、その技を次代に後継していってほしいと切に願わずにはいられません。

そしてもう一つ感じることは、貧富の差に苦しむ人たちになにかしてあげられないのかということ。

インドのカースト(階級)制度における身分の違いを頭では理解しつつも、兄弟なのか、生まれたての赤ん坊を抱いた3歳位の男の子が必死にお金をねだる姿を見ると、胸が裂ける思いになります。

その国で生産されたものを仕入れることで、その国の人たちがすこしでも豊かになってほしい…
それが私たち灯屋2の理念の一つでもあり、その実現のためにサリーなど外国の布で作った着物や帯の売上の一部を国境なき医師団などに寄付しています。

私たちが帰国してすぐにデリーで爆弾テロが起こり、多数の方が死傷しました。
テロが起こったのは、私たちが仕入でいろいろなお店を回っていたコンノート・プレイスという場所でした。
多くの人の命をかんたんに奪っていく、戦争、テロ…
いつか世界中の人たちが矛を収め、手を取り合い、貧困と訣別できる日が来ることを心から願っています。

外国の布を買って、着物、帯に仕立て日本で販売し、その利益をその国に還元していく。
そんな「灯屋2プロジェクト」と私たちが考える取り組みはまだまだ小さなものですが、皆様にお買い求め頂いた着物や帯の代金の一部は、ワクチンや食料になり世界中の飢えや貧困で苦しむ人たちにきっと届いているはずです。

代々木店店長 菊池(カイ)

インド仕入れ旅行 その2

第3日目

車をチャーターし布屋さんめぐり。ドライバーは前回と同じ青年、シャシュくん。
彼はカシミールに近い北部の出身で、とても素朴で優しい新婚さん。
実家には、牛、山羊、羊、鶏、犬、猫…たくさんの動物がいて自給自足に近い生活をしているそう。
いつか彼の田舎を訪れてみたいものです。

クリックすると大きな写真がご覧いただけます。

デリーには各州特産のサリーを集めたデパートメントがあり、地方色溢れる布を一日でみてまわることができます。
砂漠の広がる西部では、ミラーワークや厚地の木綿に刺し子をほどこした衣裳など、乾燥した強い日射しに映える色鮮やかな布が特徴。
山間の北部では、山羊の毛で織ったパシュミナ、ウールやヤクの毛から織ったショールなど、寒さから身を守る衣裳が多く、
南部では薄手の木綿に絞りで染めた風通しのよいサリーを着ています。


広い国土ならではの多様な衣裳が、同じ着物という布を纏う文化をもつ私たちには、とても魅力的に映ります。
デリーに行かれた際には、是非、「一日で各州の布をたどるツアー」をしてみてください。

クリックすると大きな写真がご覧いただけます。
訪れたショップのマネージャーさんが、手にヘナペイントをほどこしていました。
ヘナとは植物染料を使って、手にペイズリーなどの文様を描く女性のおしゃれです。
一ヶ月も色落ちせずにもつとのことで、私も是非トライしてみたかったのですが、残念ながら時間がなくできませんでした。
インドの女性は本当に、着飾ることが大好きです。
ちなみに私は赤系のフレンチネイルにラインストーンがのった少し派手めなネイルをしていたのですが、会う人皆に大人気でした。インドにはネイルサロンがないのよ…と残念そうでした。

向こうでの食事は、もちろん全食カレーです。
なすやオクラなど、野菜オンリーのカレーが多く、食欲旺盛な私たちは毎食大満足。
次はインド西部の都市コルカタへ向かいます。

クリックすると大きな写真がご覧いただけます。

インド仕入れ旅行 その1

クリックすると大きな写真がご覧いただけます。

先日、店主渋谷と代々木店菊池カイが、インドへ布を仕入れに行ってきました。
5000年に及ぶといわれる染色の歴史を持つインド。
悠久なる歴史から紡ぎ出される高尚な文化と、街の喧噪、怒濤のごとく溢れる人、人、人…。
その全てが確固たる存在感をもちながら混ざり合い、不思議なハーモニーを奏でて成り立っている気がします。
今回ブログでは菊池が、インド旅行記をお届けします。

第1日目
夜、タイ経由でデリーに降り立ちホテルへ到着。
荷物を解いたときにはすでに日付が変わっており…
明日からの布達との出会いに胸を膨らませつつ、就寝…。

第2日目
終日ニューデリーの布屋さんで布探し。

クリックすると大きな写真がご覧いただけます。
一日に6~7件のお店へ行くのですが、どのお店でも、年に2回訪れる私たちのことをきちんと覚えていてくれて、うれしい再会に盛り上がります。
インドの人は数学的知能がとても高いらしく20×20までの九九を暗記しているといいますが、記憶力が非常によいと思います。前回はこの布をこれだけ買った、などと本当によく覚えていて驚かされます。
たくさんの布の中から素敵な帯に仕上がりそうなものを探しだし、メートル単位で仕入れます。


ポイントは、写真のように帯の寸法に布を置いてみることです。
どうです、帯になったときのイメージが涌きませんか?

クリックすると大きな写真がご覧いただけます。

今回メインに仕入れたものの一つに、インドの東部ウッタル・プラデーシュ州のベナレス(ヴァラナシ)という街で織られたベナレスサリーという絹サリーがあります。

ガンジス河が流れる聖地として有名な所ですが、古くから織物産業の中心地として栄え、織物に従事するカーストが多くいます。今回は行かなかったのですが、私が以前(10年近く前になりますが)行った際には、ガンジス河を取り巻くように人々が生活し、生きる者と死にゆく者が同じように受け入れられていることに、とても衝撃を受けました。

河のほとりで河を眺めていると、木を組んで作られた簡素な担架で次々と死者が運び込まれ、川辺の火葬場で薪を組んで火葬されます。その周りでは、子供達が遊び、犬達が戯れ、牛が草を食し、死を待つ老人が道に横たわっています。

数時間後、遺灰は河に流され、聖地を目指して長旅をしてきた巡礼者達はその河で身を清め、水を壺に入れ大切に持ち帰ります。当たり前のように繰り返されていくその営みに、ショックを受けたものでした。

そんな聖地で織られたサリーは、深みのある地布に金糸や銀糸、いくつもの色糸が織り込まれたとても繊細なサリーです。
一枚を織るのに2ヶ月程かかるものもあるそうで、その長い行程を思うと溜息がでます。現在アトリエではそのサリーから何本かの素敵な帯が仕立て上がっていますので、店へお寄りの際には是非ご覧頂ければと思います。

インド仕入旅行はまだ続きます。

アンティーク着物の灯屋2 ホームページはこちらをどうぞ

帰国いたしました。

いよいよラオス、タイ研修旅行も最終日。
チェンマイ組、バンコク組が合流し、最終日は時間ぎりぎりまで仕入れを行っていました。
タイで仕入れるものは、もちろんタイシルク。
帯揚にしたり、帯裏にしたりと灯屋2定番のアイテムになりますが、定番だからこそ外せない重要なもの。
店主渋谷、代々木店店長菊池(カイ)、アトリエ森にタイ在住歴8年の通訳、菊池(暁)、そしてわたくし銀座店白井。

タイシルクのみならず、綿や麻などいろいろな布地を物色。
結局滞在時間ぎりぎりまでお店をめぐって、いろいろな素材を見つけてきました。


いよいよバンコク出発。
預けておいた荷物を取りにホテルに戻って、空港に向かって出発しようとすると
すでにホテルに戻っていた上杉、北島、斎藤、佐田の4人がタクシー待ち。
状況を聞いてみると突然のスコールのため、タクシーがつかまらないとのこと。
タクシーを待つこと、20分くらい(たぶん最初から待っていた4人は1時間近く)…でもタクシーは一向に来る気配なし。

紆余曲折はあったものの、最終的にはホテルの車で空港まで送ってもらうことになりました。
送ってもらうことになったのはいいとして、車は渋滞にはまってしまって一向に進まず。
ホテルからすぐそこに見えていた高速道路まで到達するのに1時間!!

無事に空港につくことができるか不安になったのですが、たぶんその不安は私だけだったようです。
(写真は渋滞の中陽気なスタッフ一同)

まあ、なんとか出発の1時間前には空港に到着し、無事に東京に帰ってくることができました。

明日水曜日の定休日をはさんで、明後日から通常の灯屋2に戻ります。
仕入れてきたばかりの布地、そして土産話もたくさんございますので、ぜひ代々木本店、銀座店にお立ち寄りください。
スタッフ一同、研修にて培った知識と経験を今までにちょっと上積みして、皆様のお越しをお待ちしております。

銀座店 白井

Wedding Photo

そろそろラオス、タイ研修旅行も終わりに近づいてきました。
今朝、ホテルで朝食を食べている時のこと、ウェディングドレスとタキシードを着た2人が私たちのテーブルの横を通って行きました。
ウェディングフォトを事前に撮って、結婚式の会場でみんなに披露するのがタイではよくあること。
実は私も結婚前に夫がタイに住んでいたため、日本とタイの両方で結婚式を挙げたのでこのウェディングフォトは撮影しており(撮影中はかなり恥ずかしいです)、今でも時々話のネタになっています。

実際、タイでは経済的事情により写真の数や大きさは違えども、かなり数のカップルがウェディングフォトを事前に撮影するのではないかと思います。その証拠に町を歩くと、写真館(ドレスの貸し出し、メイク、撮影を一手に引き受けてくれます。)が意外と多くあり、中でも驚いたのが公園やこういったホテルなどでの出張撮影も頻繁に行われていること。

ウェディングに限らず、家族写真や自分の誕生日などの記念に撮影をする人も多いようで、いつ写真館の前を通りかかっても撮影をしていたり、写真を選んだりしています。

写真館やスタジオでの撮影に限らず、日本に比べると、タイを含めたアジアの国々の人々はスナップでもポーズをとることが多く、いわゆる記念写真を大事にするような気がします。

そんな様子を見ていると、私たち日本人ももう少しいろいろな場面で記念撮影を増やしてみてもいいのかもしれません。
皆様もちょっとした特に、ご家族や友人とそして自分の誕生日の記念に…などなど、せっかくですから着物をお召しになって記念撮影をしてみてはいかがでしょうか?

きっといい記念になるはずですよ。

代々木店店長 菊池(カイ)

W杯3次予選観戦してきました。

ラオスからバンコクに戻ってきて、研修旅行の半分がほぼ終わり…
チェンマイ組は予定通り空路チェンマイへと向かい、北島、斎藤、佐田の3人はエレファントトレッキングへと出発。

その他のスタッフは何をしていたかというと…6月14日タイ、バンコク。
そう、サッカー日本代表のW杯3次予選、タイ対日本の試合を見に行ってきました。
会場のラジャマンガラ・スタジアムは市内から1時間、空港と市内のほぼ中間に位置。

きっとTVでは灼熱のアウェーとか言っていたのではないかと思いますが、スタジアムの半分以上を埋めているのは青いユニフォーム(本当です)。
そして、天候は曇りのため、スタンドは意外と快適。(ピッチは分かりませんが…)


タイのサポーターたちもどちらかというと、敗退の決まっている自国のW杯予選より注目はEURO2008のため、会場はのんびり観戦モード。
応援する日本のサポーターにとっては、タイはかなり応援しやすいアウェーでした。

試合はTVでご覧になった通り、前半はほぼ一方的な日本ペース。
コーナーキックから闘莉王、中沢のゴールで2得点。会場に到着するのが遅くなってしまい、若干アウェー側のメインスタンドに座っていた我々は目の前で2得点を見ることができました。

後半もすこし足が止まってしまったか、タイに攻め込まれるシーンもありましたが
ほとんど数的優位を保って守っていたので、ピンチらしいピンチはなし。(TVではどう映っていましたか?)
そういえば後半日本側のゴール裏(タイのサポーターが集まるホーム側)で花火が上がりましたが、TVには映りましたか?
中村(憲)の3点目が入るとタイ人サポーターは徐々にスタジアムから立ち去って行きました。

試合自体は完勝でしたが、欲を言えばあと2点くらい流れの中から取れればよかったですね。

でも、見に行った甲斐のある面白い試合でした。
選手の皆様、お疲れ様でした。

これはサッカー好きのブログではなく、灯屋2のブログの研修旅行の報告です。(念のため)

HP担当 菊池(サトル)