灯屋2旅行記」カテゴリーアーカイブ

パリでの籠展いよいよオープン

5ヶ月間の籠展がいよいよ始まりました。
エッフェル塔直下の近代的な建物は2006年にオープンして、アジア、オセアニア、アフリカ、中南米の民族美術品を収蔵しています。

竹籠は、縄文時代から出土しているとの情報がありますが、美術品としての歴史は明治期からで、近年になってにわかに注目されるようになりました。

会場に並んだ竹籠の持つ、しなやかで、繊細で、包容力ある姿に、パリの人々から感嘆の声が漏れていました。写真では、当店から出品したものをご紹介しています。

7時からのパーティは屋上のレストランで、折しも目の前のエッフェル塔が、5分間のフラッシュライトで歓迎してくれました。

とてもざっくばらんな館長を始め、日本から見えた竹工芸家のご家族のみなさんやらで、和気あいあいとした会でした。

今夜の着用は、世界のコラボを意識してウズベキスタンのアドラス地の着物に、帯は浦野さんの経節紬です。

 

美術館館長と話す、灯屋のスタッフ

 

パリでの籠展パーティーのご招待を受けて

この度、パリの国立ケ・ブランリ美術館で、大規模な籠展がひらかれました。
灯屋でも数点出品していますので、セレモニーへのご招待を受けて参列させて頂きました。

 

フランスでは目下、日本の明治期の工芸への熱い視線が渦巻いています。
街を歩いていても、ジャポントレビアン!と、声がかかります。

まずは、ランチパーティーで現代作家と、出品者、ジャーナリストの懇親会でした。
私の出で立ちは、志村ふくみの”どんぐり”。
帯は、インドネシアスマトラ島の金糸の紋織です。
着物の色は籠に因んで竹色にしました。

続いて夜はカクテルパーティーでした。
ドレスコードが、セミフォーマルとありましたので、明治期の江戸小紋と、江戸期の唐織の帯にしました。
この帯は、能衣裳解きの掛袱紗を見つけて、もう20年位前に付け帯にしてあり、かなりのボロい代物ですが、愛しています。
このパーティーでは会場を解放して、連れ合い曰く、世界中のコレクターや、識者が集まっている、というほど盛況で、流れが進まないほどでした。
そしてみんなにワインが振舞われて、様々な言葉が飛び交い、陽気な宴が続きました。
明日はディナーパーティーが待ってます。

 

インド布の旅2018 再びバナーラシーへ

バラナシサリーを選ぶ昨年のインド仕入れで出会ったマハラジャの黒いサリーが、我々を再びバナーラシーへと誘いました。

しかし現実はなかなかに厳しいもので、ホテルから続く、すばらしい(?)小径を数百メートル歩かなければ車に乗ることもできません。
車に乗っても人や動物優先でなかなか進まず、やっとのことでお店にたどり着いても、心ときめく出会いがそうそうあるわけではありません。

そこで翌日、去年マハラジャのサリーに出会った、あのファクトリーへと向かいました。
今回は、昨年いた当主の叔父さんが対応。

色々見て判った事は、我々の好みは店頭にあるような最近の物ではなく、屋敷の奥に長く眠っている宝物のような布だということ。
所が困った事に、この叔父さん、それらのサリーに対する愛惜の念が深すぎるのです。
虫食いあり、色焼けありの布なのですが、そこは売る者と買う者、両者ガップリ四つに組んで、長い戦いが始まりました。

選ばれたサリーお互いに物の価値が判っている、どちらもいい商売につなげたい。
相手の手中が判っている中での、10倍も違う希望価格を調整していかなくてはなりません。
こんな場合は、だんだん詰めて行ってお互いの真ん中を取るのですが、余りにも離れていて到達すべき金額が予想できない。

水を飲んだり、トイレに行ったり、庭に出たり。
最後に、お互いいくらだったら商売できるかで決めようと言われて、はっとしました。
なるべく安く買おうというのでなく、本当に欲しいのならいくらまでなら買えるのか、正直に口にした価格は、向こうの希望価格とはまだ相当違っていたのですが、それで良し、となりました。
1枚の布を手に入れるために、ほぼ2時間あまり…
そんな事が楽しくて面白いのです。

ホテルの宮廷舞踏家最後の夜は、少し気張って、リバーサイドのヘリテージパレスホテルという、260年前のマハラジャの邸宅跡のホテルに泊まりました。
4階まで吹き抜けの中庭の天井に、ドーム型のガラスの屋根が付いていて、ライトアップの中、音楽が響いてインドの古典舞踊が始まりました。

美しいサリーたちが舞っていました。

インド布の旅2018 コルカタ あのギャラリーへ

コルコタで布探しインドの首都デリーから飛行機で3時間コルカタへ移動しました。
デリーでの予想以上の収穫に、高揚した気分でのフライト。
昨年は乗り遅れて散々だった事を思い出しながら…

コルカタに来るのは、一軒のお店で木版ブロックの染め、カンタワーク、オリジナルデザインのサリーを探す為。
空港も快適になり、市中の動物たちもいなくなり、ハイウェイも一部できていましたが、街路の混沌は相変わらず。
しかし、一歩店に入るとさっきまでの熱と音に包まれたコルカタの街からは、別世界が広がります。

いつも用意してくれるランチ穏やか空気と彩りの中、昔ながらに手間をかけてつくられた布達の中で着物にどうか…羽織に…と丸1日の布探しです。
フレンドリーなスタッフが、ランチを用意して、笑顔いっぱいで迎えてくれました。

広いフロアーで時を忘れて布と戯れる、という楽しい1日。
これって、灯屋2にお出かけになるお客様のお気持ちを体験しているのかな、と、不遜ながら思っていました。

帯だけでなく、着物や羽織になるものも探しますが、これが実は一苦労。
サリーを着物にするのには無理があるのを承知で、それでも作ってみたい我々がいるのです。
そしてお店で、皆様の歓声の声を聞きたいのです。
そんな着物や羽織をお買い上げ頂く、素敵なお客様のために、素敵な布を探し続けます。

インド布の旅2018 デリーにて

デリーに到着した直後からもうはじまりました。
何度も訪れたお店ですが、来る度にパターン、色が、工夫された新しいデザインにおどろかされます。
インドの深い歴史と商人達の誇りを感じます。
翌日は、朝から10件のお店をまわり、本当にいっぱいある布の中から日本へ連れて帰るサリーをしっかり探します。
サリーを着る女性は、年々少なくなっているようですが、サリーを愛すインドの女性は、身も心もふくよかなようで、装う物を選んでいる時は、万国共通で皆さん本当に楽しそうです。

デリー、コルカタ、ヴァラナシへの布の旅2018。
インスタグラムでもご紹介していきますのでどうぞご覧ください。

仕入れに伴いまして、店頭の外国布帯の一部を半額にさせていただきます!
半額と言うことで、お値打ちの帯も多数ございますので、ぜひ、お立ち寄りください。


インド布の旅2018 インド布の旅2018

インド布の旅2018 インド布の旅2018

「インド布の旅レポート」 その6

サリー織りの屋敷インドの誇り高いマハラジャのサリーは、その気品を秘めた美しさで、見る者の心をいにしえへと誘います。
ガンガーへと向かう女性たちのその姿は日本女性の着物姿と重なりました。

旅のエンディングは、デリーで出逢った、サリーを織る青年の生家に向かいました。
彼は通年のうち、半分以上デリーに来て、自分たちの織ったサリーを販売しています。
バナラシーから、車で1時間ほど離れたその場所は、広々としたのどかな平野。
大地と緑の中、農作業をするする女性達のサリー姿が風になびく風景は、時を忘れ、胸を打つ美しさです。
中庭を囲む屋敷の中から、穏やかな機織りの音が聞こえてきます。
沢山のジャガードパターンの1枚1枚が順番を待って、クルリと降りてきます。
ボビンに巻き取られた彩りが、丁寧に1本ずつ織り込まれ、美しいサリーが誕生します。
この家では、図柄を生むヨコ糸を1色ずつ織り込む作業を、2人がかりで行っていました。
少ない人手で、良いものをできるだけ多く作り出す工夫でしょう。
糸を巻き取るのも皆、男性の仕事です。
「しなやかなサリーの絹糸を作るお蚕さんは、昔は小さな繭だった」と昔のサリーを扱った方が、話してくれました。
日本の着物と同じだなぁと、インドを益々身近に感じ、サリーを纏う女性達が愛おしくなりました。
インドからのサリーが、日本まで来て、着物や帯として大切に着用されていく。
まるで、女性達の布に宿る愛情が、海を越えてやってきたようです。

ジャガード機で2人1組になりベナレスサリーを織る ザリ糸と銀糸を1本に織り込む

ガンガーに向かうサリーの女性 ガンガーに向かうサリーの女性

「インド布の旅レポート」 その5

ガンガーに注ぐ朝日
ガンガーに注ぐ朝日です。
混沌の1日の中のつかの間、神の使者として使わされてきているような光です。
気がつけば、この時間だけはあの喧騒が遠くなります。

さて、人の波、牛の糞、押し寄せるリキシャーをかき分けて向かった、とある工房。といっても我々からみれば大きなお屋敷。
そこの主人の風貌、話し方、生活ぶりに出会った途端、わたしの中で、突然インドがわかってしまいました。
そしてゆるりと出してくれた1枚のサリーに恋してしまいました。

ムガールが終わり、イギリスが入るまでのマハラジャたちの世界、そこから連綿と受け継がれてきた伝統。

色糸を見せる5代目主人
日本と全く違う異文化のなかで、トップ階級のためだけに、100年も最上の物を作り続けてきたその歴史が放つオーラを持っているのです。

はっきり言うと、何か病的なまでの凄さを感じてしまいました。
今まで、インドの更紗や織物を絶賛して、美術館でみたり仕事にもしてきましたが、何かその裏付けが取れたような時間でした。

話しはそれますが、15年ほど前、ウズベキスタンに行った折り、日本でいう古民家なるお宅に伺いました。
そこの主人は伝統衣装の収集家で、ムガール朝から続くというイスラム建築に普通に暮らしていて、100枚もある衣裳を惜しげもなく着ろ着ろと、着て踊れと。

奥さんと2人で踊りまくりましたけど、そんな時、言葉は通じなくても、それがどんなに好きなのかで、少々の自慢も込めて素晴らしい一体感が湧くのですね。
その時も、そのご夫婦の背後にある色々な重みをドッと感じて、伝統衣裳の持つ素晴らしさを実感したものでした。

「インド布の旅レポート」 その4

木版の型染めサリー木版の型染めサリーを求めて州政府のお店へ、このお店とも長いお付き合いになりますが、この木版染めは、トラディショナルサリーなので流行におされ生産が年々減っています。

手工芸の染めは、同じに見えてそれぞれ違い、作られた年によって型の大きさや色使いも変わるので、デザインとコンディションを1枚づつ広げてしっかりチェックします。
日本から1年ぶりの来店に、「自分で見ていいよ」とストックを解放してくれました。(笑)
沢山の中から、選ばれた木版更紗を前にスタッフもほっとした笑顔ですね。

木版の型染めサリー 木版の型染めサリー

木版の型染めサリー

「インド布の旅レポート」 その3

あこがれのベナレスサリーをもとめて、今ではワラナシと呼ばれるこの聖地までやってきました。
気高く、エレガントなそのサリーを3枚ご紹介します。

黒いのは130年まえのアンティーク、日本で言うと明治初期の物。
工房の主人は5代目で、これはマハラジャの奥様のものだったそうです。
ハサミをいれるのには、相当悩みそうです。

ダークグリーンのものはペーズリーも美しく、帯になる運命のようです。

赤いのもまた本当にかわいらしく…

あと1日、どんな布との出会いが待っているのが、ぜひご期待ください。

ベナレスサリーベナレスサリーベナレスサリー

「インド布の旅レポート」 その2

山羊の毛を紡いだ糸から織られたパシュミナやカシミヤ。
厳しい寒さから身を守るストールやショール。
大胆で美しく、触れるとよりいっそう引き込まれます。
このパシュミナショールは、山羊の顎毛を紡いで織り上げるのに2ヶ月、その上に4年かけて刺繍したそうです。
目を酷使する為にひとりの人が、一生のうちにつくる数は、限られているようです。

パシュミナショールパシュミナショール

インドにあるカシミールショールは、多種多様。
糸のクオリティ、刺繍そして織のデザインは、限りなく生まれ、その中から素敵なショールをセレクトします。
ベテランのショール売りのおじさんたちが、よろこんで向かえてくれました。
「そーれ、どっこいしょ!」と日本へ送るために目方を計ります。

カシミールショール

ショールのお店で日本への発送準備